2021年2月号 楽しいことを空想しよう

体は心の現れ

 楽しいことを空想するとはどうやるのか。頭で考えるのか、知識で考えるのか、心で想うのか…いろいろと考えていると、ある文章に目が留まりました。

 野口整体の野口晴哉氏の言葉で、「問題は体ではなく心である」とありました。頭が痛い、腰が痛いと言いますが、痛いところを治療してもそれほど改善しない。問題は心なのであるから、心を治さないと治らないということでしょう。自分が楽しいと想うことを空想し、人が喜んでいるようなことを心で空想していると、いつの問にか良くなっていく、それが本当の養生なのだと。

 人のあら探しをし、欠点ばかりを見て悪口、陰口を言ったり、自分が人からどのように見られているかということに神経を使う。そのようなことばかりにエネルギーを使っていると、頭痛、腰痛といったいろんな不調が出てきたり、なかなか治らなかったりするのでしょう。心がワクワクするような楽しいことを空想する、人が喜ぶ姿を見て自分も心の底からうれしくなる想いが湧いてくると、いつの間にか痛みが消えて、楽しい日々が訪れる。とすばらしいことを言われています。

自我のない空っぽな想いが通じる

 30年ほど前に、野口晴哉著「かぜの効用」を読みました。その本の中に、風邪のツボに気を通せば、風邪はすぐに治るとありました。この場合も、ようし、治してやろうなどと自我の想いでやっても治らない。相手が治って元気になった姿を見て、心から喜ぶ想いで気を通すと治る。

 ということで、そのような想いで実際に気を通してみたところ、本当に治ってしまい、驚きました。それからというもの、風邪をひいた人を見ると見過ごせなくて、思わず気を通してまわっております。その人が治って喜ぶ姿を見るのが楽しい。うれしいだけなのです。ガンや喘息などもきっと治ると想うのですが、病院で「治らない」と思い込まされ、潜在意識まで届いていると、なかなか治らない。心の底から治った事を信じて、心が楽しくなって喜びで満たされる。そんな空想をしていくことが、どれほど大切かを改めて想いました。

想いは言葉となり行動となる

 「アナスタシア6」ウラジーミル・メグレ著の中でも心で想う事の大切さが書いてあります。今の教育では世界中の人たちが操りの糸に絡まれて、考えることをやめてしまって、心の事や心がどこにあるかとか、心で空想すると、それが現実になるということなど全く信じない。まして心とは何か?といった疑問さえ持たないように洗脳されてしまっていることを指摘しています。

 この本の中で、母アナスタシアに教育された5歳の息子にいろんなことを指摘され、父親であるメグレがタジタジとなっている姿を想像すると、思わず笑みが出てしまいます。

 赤峰も易者に言われた「この子は将来博士になる」を信じた母親の勘違いで育てられたおかげで、2、3歳のころには、毎夜枕もとで眠りにつくまで「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり」を唱え続けられ、これが潜在意識に入ったために、学校での勉強は、先生が教えることが幼稚に思えて全く聞かないために、先生からいじめられ・・いえ叱られましたが、それで益々納得がいかないことは聴かないし、なぜ、どうして、どうしたらこうなるのか?
といったことを、夏は川遊び、冬場は山の中で、自然を師として答え探しをしていました。そんな中で、百姓になる事以外の進む道は考えたことはありませんでした。

循環農法までの道のり

 つい最近思い出したのですが、完全無農薬無化学肥料の農法を完成させる元になったのは、小学校3年生くらいの頃、すべての畑の土を床土(苗を育てるための土)のようにするというイメージを鮮明に持っていたことだと思うのです。

 ところが、百姓になるためには農業高校に行かねばと、頑張って農業高校に入り、そこで近代科学農法を学んだ事で、その方向に「なせばなる~・・」とまっしぐらに進んでしまったわけです。ずいぶん回り道をしてしまったということですね。

空想とは大いなる意識とつながること

 いったい心とは何なのでしょう。想う事の大切さとは何なのか。これは頭で、知識でいくら考えても答えは出てこないのかもしれません。

 心とは大宇宙であり、潜在意識を通じてヒラメキによって過去世で体験した智恵が無限に湧いてきます。我々の肉体の命は大宇宙からの贈り物で、自分のものなど何もないと気づけば、良い事ばかりで楽しいことばかり。そしていつもニコニコ感謝の日々です。楽しいことの空想、嬉しいことの空想、元気な空想、これを続けることでいつか潜在意識に届くとき、現実となっていくのでしょう。

後に戻る ホームへ メニューへ 次へ進む