2020年7月号 日本の母

日本の食文化

 島国、日本という小さな国が80年前 世界を相手に戦争をやるような力はどこから出てきたのか?辿っていくと日本の国土が生んだ食べ物に関係があるように思えてきます。

 米、麦を主食とし、野菜、そして豆類を使った加工食品。加工食品と切っても切り離せないのが塩です。四面、海に囲まれた素晴らしい環境のおかげで、海塩が自由に作れ、海塩を使った発酵食品文化が発達しました。海塩の中に含まれる96種ものミネラルと発酵によって作り出されるビタミン類のおかげで、強靭な人体と明晰な頭脳を日本人は得ました。そして日本食は、酸性の血液を作り出す肉中心の食事とは異なり、中性に近い血液を作ってくれるので、冷静な判断力、粘り強い心が作られました。

日本語とカタカムナ

 日本語についても考えてみましょう。日本の数万年前にあったと言われているカタカムナ文明。
カタカムナ文明の時にカタカナ(イロハニホヘト)ができたと言われています。戦前の学校教育では一番にカタカナ、次にひらがな、次に漢字を教えていたようですが、戦後の学校教育の中から消されてしまい、戦後教育を受けた我々は、カタカナを深く知る事なく来てしまっています。若い人たちは、カタカナは外来語や外国語を表す時に使われるものという認識でしかないと思います。

 10年程前にご縁を頂いた宇野多美恵先生(カタカムナ相似象の本を書かれた方)のお話を伺い、本を読ませて頂く事によって、カタカムナ文明を知り、カタカナの持つ意味の深さを教えられ、漢字のもとはカタカナであり、カタカナを組み合わせると漢字が生まれ、カタカナから生まれた漢字には、一字一句、一語一語に深い意味があり、このような言語を待った民族は他にないことを50歳を過ぎて知ることができて、日本人の祖先に対して信頼と尊敬の念を深めています。

母の思い出

 意味深い言語を使い、お互いが理解を深め、信頼し、助け合い、愛という言葉を使わなくても、深い思いやりの心で愛を表現し、ほんの半世紀前までは家に鍵などかける必要は全くなかったのです。このような深い愛を惜しむことなく子供に与えてくれたのが、昭和10年くらいまでに生まれた女性(母)のように思えます。そのような事はないとお叱りを受けるかもしれませんが、ご勘弁ください。

 現在70代・80代・90代のお母さん方の一人として、自分の母の事をちょっとお話させてください。母は、大正6年、半農半商の家に生まれました。
母については、物心がついてからの事しか覚えていないのですが、小児喘息の発作を起こすたびに、交通の不便な中で15㎞も離れた病院へ駈け込んでくれたそうです。
弱かった体も4~5歳頃、裸にして背中を焼けば良いと聞いた母は、夏になると上半身裸にしてくれたようです。おかげでメキメキ元気になり、小学校に入る頃には、夏は川から上がることがないほど、一人で毎日魚釣りをし、川遊びにふけっていましたから、小学5・6年生の頃には、ウナギ釣りの名人になっていました。このような元気な肉体を作ってくれたのは、母の深い愛と母の作り出す加工食品にあったことを今は深く感じています。

 母は大分市内に住み、銀行に勤めていたのですが、無理矢理連れ戻され、昭和14年わが家へ嫁がされました。40日父と一緒に暮らしただけで、父は支那事変に出兵してしまい、
3年半も家を祖父や祖祖父母と守り、農家の事は全くと言っていいほど知らない中で、大変な苦労をしながら仕事を覚えていったようです。

 負けん気と研完熱心な母は、祖祖母、おばあちゃん、近所の人に習いながら、こうじ作り、味噌作り、漬け物、梅干し、豆腐作り、こんにゃく作り、酒まんじゅうやまんじゅうこうじの作り方など百姓の嫁として何でもできるようになり、料理も近所の結婚式などで板前を務めていました。朝早く起きて、遅く休み、常に働く姿しか見たことがありませんでした。かあちゃんはいつ眠るのだろう?もちろん昼寝をしている姿など見たこともありません。田植えや取り入れの時は、母は夜殆ど眠らなかったようです。まんじゅうのおやつから、15人位の昼食、夕食作りのうえに、少しでも時間があれば田植えに出るのですから、さらに婦人会の世話役は40年以上続いたようでした。

 縫い物をしても上手なもので、物の少ない頃でしたから、息子の着る物は殆ど縫ってくれていました。中学生になって剣道を始めた時、道着を刺し子入りで縫ってくれたのには大変感動し、今もその道着は鮮明にイメージに浮かんできます。

 母は常に明るく腹を立てたのを見たこともないし、感情的になって子供を怒ることなど一度もありませんでした。悪さばかりする息子を叱らずに、どうしてそのような事をしたのかと答えが出るまで眠らせてくれないし、二度とやらないと言うまで眠らせてくれないのには参りましたが、新しい悪さは山のようにあるので、お互いに大変でした。現在休むことなく働き続けて何も不平不満が出てこないのは、母の後姿を見て育ったからだと思っています。

母性が醸す食文化 命の源は女性の手のうちに

 このような何でもできる母親たちが農村にたくさんいたのです。
このような素晴らしい母親が作り出した米、麦、野菜、加工食品によって育った元気な若者が、戦後の瓦礫の山から経済大国を作り上げてきたのですが、多くのマイナス面も残してしまいました。戦後の教育の間違いから素晴らしい母親がいなくなってしまっていることに気付くのも我々の年代の人達ではないでしょうか。比べるものを持っていない今の人には、全く知ることができないと思います。勝手な思い込みと思う人もいると思いますが、このままでは日本民族は滅びてしまいます。

 現代では、農家の嫁不足は言われ続けていますが、その反面、進んで農家の嫁になりたい女性や田舎での自給生活を望んでいる女性も増えてきているようです。

 戦前の母たちのような過酷とも思える働きはしなくても良いと思いますが、先人たちの知恵は受け継いでいってはしいと思います。もっと食事のことができる、加工食品が作れる、簡単な縫い物ができる、家庭菜園ができる。そして、命の尊さ、母の役割の大きさに気付き、自然分娩で出産し、母乳で自分の手で子供を育てられる母親になれる人を増やすことが、日本を救う一番の道だと思い当たりました。

 一人でも二人でも、いや百人の素晴らしき母となれる人を育てていきたいと思います。

後に戻る ホームへ メニューへ 次へ進む